メリッサにしてもクリストファーにしてもそうだが、欲求に対してアウトプットされる感情が素直だ。叶わないことがあると単純に泣くし、だだをこねることもある。
親の目線では「おいおい勘弁してくれ」と思うこともあるけれど、これがいち他人として見てみると羨ましかったりもする。もしかしたらとても素敵なことなのではないだろうか。
今朝少し試してみた。
今朝は雨の予報であったが、万が一雨が降っていなかったらバイクに乗ろうと思って早起きをした。すると案の定雨が降っていた。ああ仕方ないなと思いながらも、子供らに倣ってだだをこねてみることにした。先に起きてキッチンに立っていた妻のキャロラインに対して、
「グズッ…今日…、バイク…グズッ乗りたかったのに…、、バイク、グズッ…、乗りたかったのに雨降ってて…乗れない…ズッズッ…」
流石に声を出して泣くわけにはいかないので、その直前までを再現してみた。
「バイク…ズッ…乗ろうと思ってグズッ…早起きしたのに、雨…グズッ…エッエッ…乗れない…エッ…グズッ…雨」
こんなことをそれらしい表情を作りながらしばらく繰り返してみた。
するとどうだろう。非常に原始的な、素朴な気持ちになった。心が落ち着いてきた。バイクには乗れなかったが、その残念な気持ちを少し緩和することができた。言わば、「満足した」のだ。
キャロラインはメリッサの弁当を作る手を止め、苦笑いしながら私のそれが終わるまで黙って眺めていてくれた。今日も愛しているよキャロライン。