【前編】キャプトンマフラーのSRに乗るのは誰だ!

交差する道の歩行者信号が点滅を始めた。クラッチを握りギヤを一速に落とす。すると後方から聞き慣れた排気音が聞こえてきた。

“バッバッバッバッバッバッバッ…”

「来た…」

長かった梅雨が間もなく終わりを告げ、しばらくすると本格的な夏がやってくる。明け方に降った雨が路面を濡らし、7時半現在まだ乾かずにいる。片側3車線の国道は、シャツがまとわりつくような不快指数の高い今朝もいつもと変わらずに都市部へ向かう車で混雑をしていた。

そんな3号線をTWで走っていると、しばらくしてそれは現れる

“バッバッバッバッバッバッバッ…”

私が信号の停止線少し前で止まるとそれは私のミラーに映り込むのを狙ったかのように左少し後方に止まる。キャプトンマフラーのSRだ。

マフラー以外はノーマルに見える。が、多分それは“見える”だけ。信号が青に変わりテンポよくシフトアップし悪くはない加速をする私のTWの脇を、さも停車している車の横を通り過ぎるように抜き去っていく。つまりキャブレターかエンジンか。それとも両方か。

抜かれ際に見るそのSRはメッキパーツはきれいに磨かれ、外装は程度良く保たれていることが確認できた。バックステップとドラムブレーキが標準だった頃の古いSRだ。その一瞬の後に印象的な排気音のSRは遠くなり、やがて消えた。次の信号ではもうSRはいなかった。

私は自分が乗っているTWが一番好きだし、TWに乗っている私が一番好きだ。ロングスイングアームで曲がりにくいところも、トラッカーハンドルですり抜けがしにくいところも。200ccのエンジンを抱える小さめの車体も、背丈の高くない私が通学に使うにはちょうど良い。

父が私くらいの頃に大流行したヤマハのTW。その流行から30年以上が経ち、私が乗る今ではもう街でTWを見かけることは無くなった。それどころかバイク自体目にする機会が少なくなった。周りを見ると黒ずくめのナイロン製ワークウェアに身を包んだ、男性か女性か、若いのかそうでないのかすらもわからない人が乗る50から250CCクラスのスクーターばかりだ。バイクは利便性と経済性で選ばれる乗り物になった。利便性と経済性で選べば、バイクに乗っている自分がどう見えるかなどどうでもよくなってしまうのだろう。

私はかつて人々が少し格好をつけるために、乗っている自分を好きになるために、はては自分のアイデンティティを求めてバイクを選び楽しんでいた時代に、若者の人気の頂点にあったTWが他のどんなバイクよりも好きだ。そしてTWに乗っている私自身ももちろん気に入ってる。稀に大型のバイクに乗ったおじさんから、自分も若い頃乗っていたよなどとかわれることもあるけれど、それでも私はこの街乗り仕様のTWが好きだった。もしかしたらバイクが持つ佇まいや歩んできた歴史、性格みたいなものが私に合っているのかもしれない。

ある日いつもどおりTWで通学をしていた時、ミラーの左後ろにバイクが迫ってきているのが見えた。追い越すのかなと思ってしばらく注意していたけれど、そのバイクは追い越すことはなく少し離れた後ろを付いてくる。信号で私が止まると大抵の品の無い125CCのスクーターは横に並ぼうとしたり、あまつさえ停止している私の前に出ようとするバイクもいるけれど、そのバイクは私の左後ろにゆっくりと停まった。SRだった。ミラー越しに表情を伺おうとするがジェットヘルメットのシールドの向こうの表情を伺い知ることはできなかった。

“バッバッバッバッバッバッバッ…”

印象的な排気音。ノーマルマフラーを変えただけの排気音とは明らかに違い、重量感があり少し湿った音。それでいて躍動感がある。けれど少しフィルターが掛かったというか、映画館のスピーカーから出ている音を聞いているような、どこか間接的な印象を持たせる、そんな排気音だ。信号待ちで聞こえてくるその音を確認するのがいつからか私の朝の日課になった。

“バッバッバッバッバッバッバッ… バババババッ…ババババババッ…

そして信号待ちから一気に追い抜かれるのも。

春からもう4ヶ月になろうとしている。毎日では無いが週に数回そうやってキャプトンマフラーのSRに信号街で後ろに付かれ、青信号で一気に抜き去られる。止まる信号はその度に変わったが、私の朝の日課になっていた。いつからか私はそのSRに会うことを楽しみに思うようになっていた。私は自分のTWが一番格好良いと思っている。同じようにキャプトンマフラーのSRもおそらく自分のSRが一番格好良いと思い、バイクとバイクに乗っている自分を大切にしているのだろう。運転の仕方やそのSRからそんな雰囲気が伝わってきた。横暴にバイクを操り、利便性と経済性のみを追求した結果、選傍若無人に振る舞うスクーター乗りばかりになった現在で、そのキャプトンマフラーの古いSRだけは少し違って見えた。

“バッバッバッバッバッバッバッ…”

梅雨が明けて本格的な夏がやってきた。朝の早い時間でもTWのトラッカーハンドルを握る腕には強い日差しが刺す。テニス部だった母からは日焼けには気をつけなさいといつも言われているのだけれど。

夏休みに入り、課外授業へ向かうのにいつもより時間を少し早めて家を出る。30分ほど時間が早くなると3号線は幾分空いており、日差しはあるが湿度の低い夏の朝のバイクはとても気持ちが良い。もうこの時間からでも街路樹からはセミの鳴き声が聞こえ、歩道の向こうに見えるマンションに囲まれた少し大きめの公園では子供たちがラジオ体操のカードに押して貰うハンコで行列を作っている。私が3号線を使う時間が変わっても、不思議とキャプトンマフラーのSRとは変わらずに週に数回出くわしていた。もしかしたら向こうも朝課外に向かう高校生だったりするのだろうか。

“バッバッバッバッバッバッバッ…”

その日も私が信号待ちをしていると左後方からいつもの排気音が聞こえてきた。ミラーで確認をする。キャプトンマフラーのSR。交差する道の歩行者信号が点滅を始めてクラッチを握りニュートラルからギヤを一速に落とす。偶然か、対向車線も含めて信号待ちをしているのは私とSRだけ。不意にジージーと鳴くセミの声が止まり周囲の子どもたちの声が遠くなった。あたりが不思議な静けさに包まれた気がした。バックミラーを見た。SRがいる。

“バッバッバッバッバッバッバッ…”

左後方から聞こえてくるSRの排気音がいつもと少し違う。いつもの映画館のスピーカーから聞こえてくる別世界から聞こえてくるような音では無くて、この時は低くしっとりとして且つ驚くほど躍動感のある音が、私のTWの後ろから鮮明に聞こえてきた。私はアイドリングをするSRの排気音に集中した。

しばらくして信号が青に変わる

“バババババッ…

来た。いつもと全く音が違う。単気筒ならではの、大きなシリンダをピストンが上下することで生まれてくる独特な音が鮮明に聞こえる。音に集中しながらもTWの横を追い抜いていくSRを見る。するとその時SRは少しスロットルを緩め一瞬だけ私に並走したような気がした。ジェットヘルメットのシールドの向こうに少しだけ横顔が見える。若い。私と同じ高校生くらいだ。

そのときSRも少し私の方へ顔を向けた。

一瞬目が合った。それからいつもよりゆっくりと抜き去っていく彼をいつもよりよく観察した。見慣れたカッターシャツに制服のズボン、私と同じの高校の制服だ。私のTWを追い抜いた後、SRはいつもより空いた道をいつもより強めに加速した。

遠くなるキャプトンマフラーの排気音。SRに乗る彼の背中を目で追いながら、いつもより少し強めにグリップを握っていつもより多めにスロットルを開けた。なんでこれまで同じ学校の制服だって気が付かなかったのだろう。同じ高校にあんな古いSRに乗っている生徒はいたかな。探してみよう。彼も私のことを同じ高校の生徒だと認識しただろうか。もしくは以前から知っていたのかも。学校で会ったら気がつくかな。もし会ったら話しかけてみよう。あの古いSRはどうやって手に入れたのだろう。あの速さと音の正体も知りたい。私のTWのことをどう思っていただろう。気がついてくれていたかな。いろいろ聞きたいことがある。

そんなことを考えながら私とTWはいつもより頑張ってSRを追いかけたが、いつもどおり次の信号ではSRは姿を消していた。この信号でも街路樹からはジージーとセミが賑やかだ。交差する道では右折待ちで車が列を作り対向車線も3車線が埋まっている。少し遅れて私の後ろにも車が並んだ。横断歩道をラジオ体操帰りの子どもたちが賑やかに渡る。いつもの朝の3号線の風景だ。その日、今までただ追い抜かれるだけだった私と私のTWと、私を追い抜くキャプトンマフラーのSRとそれに乗る彼との距離が一気に近づいた気がした。

だが私の勝手な盛り上がりとは裏腹に、この夏の朝の出来事以来キャプトンマフラーの古いSRに出会うことは無かった。


というTW乗りの女の子の話です。もちろんフィクションですが毎朝うるせえSRに追い抜かれるという点のみノンフィクションです。


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