アルフレッド
どこから書けばよいか、私にはアルフレッド(仮名)という友人がいる。小学校からの同級生なので付き合いはかれこれ30年になろうとしている。アルフレッドは無職だ。ちょくちょく短期の仕事はしているが基本的に無職である。しばらくはアルフレッドのことをニートと呼んでいたこともあったが様々な事情から今彼を紹介するとき俺は「無職」と紹介している。今は俺の兄貴が頼んだ仕事を数ヶ月やっている。が、最近終わったのでまた無職に戻った。
ところでこのアルフレッド、非常に良い人間なのである。毎週金曜日、自宅で晩酌をしほろ酔いになった俺を迎えに来てくれる。ボウリングに行くのだ。ほろ酔いになった俺を乗せてボウリング場へ行き、10ゲームに満たない程度投げたらボウリング場でビールを飲んでさらに酔っ払った俺を家まで送り届けてくれる。
アルフレッドは悔しいけれどボウリングもなかなかの腕前だ。もともとは俺のほうがうまかったんだけれど俺が東京でごちゃごちゃやってた8年間のあいだにめっちゃうまくなってた。あいつは無職で時間があるのでずっとボウリングをやっていたのだ。気がついたらボウリング場のコミュニティにも溶け込んでいて会員のシニアの皆様に非常に愛されるキャラクターになっていた。俺とアルフレッドは週末の度にボウリングをしている。
アルフレッドは基本的に自由だ。思い返せば俺が福間から箱崎からへ引っ越したときも、箱崎から東京へ引っ越したときも、東京から福岡へ家族と帰ってきたときも引っ越しを手伝ってくれた。アルフレッドに頼むと必ず一度断れれる。腰が痛い、喉が痛い、などと言って断る。ちなみにアルフレッドは健康そのものだ。で、俺が強引に日次を告げると、ごちゃごちゃ言うが当日動きやすい格好をして軍手を持って現れる。頼もしい男だ。
特筆すべきはアルフレッドは我々のように日々労働に励んでいる者よりも達観した一面を持っていることか。こういうことがあった。俺が東京から戻ってきて久しぶりに再開したボウリングでスコアがなかなか伸びず四苦八苦していた時、アルフレッドにこう言ったことがあった。「なんでだろ、昔は何も考えずに投げてストライクが出たのに」というとアルフレッドはこう言った「練習しないとストライクは出ない。誰でもストライクが出せたらボウリングは面白くなくなる」と言った。ムカついたけどなるほどなと思った。言っていることは当たり前のことなんだけどすごい説得力がった。更にこんなことがあった。私が慕う知人に会ったアルフレッドが知人と別れた後に俺にこう言った。「生き方は顔に出る。30も半ばを過ぎるとイケメンかどうかよりも日々の表情や性格が顔を作る。彼はいい男だ」と言った(一部意訳はあるが)ほんと良いこと言うなと思った。
昨日は冬の冷たい雨が降る日曜だった。俺がトヨタレンタカーで2tトラックを借りてアルフレッドを迎えに行って二人で道中くだらない話をしながら糸島の山奥まで原木をもらいに行った。アルフレッドは動きやすいつなぎを着ていた。軍手は俺が家にあった新品を渡した。道すがら、移転後の九州大学を横目に見てこう言った。「確かに良い環境で勉強には集中できるだろうがこれでは学生がかわいそうだ。学生時代には少しくらい遊びがあったほうが良い」。さすがアルフレッド、やるな。と思った。現場につくとアルフレッドは雨に打たれながら俺と二人でぬかるんだ足元を気にもせず原木をトラックに積み込んだ。うまく詰めず原木を分けてくれた人と3人でゲラゲラ笑いながら雨の中泥だらけになってトラックに積み込んだ。最後トラックがスタックしてどうしようもなくなったので、まだ残り2割程度は積めたがそこまでにして分けてくれた人に十分お礼を言って現場を後にした。帰りの道中も何故かアルフレッドは糸島の道路事情にめちゃくちゃ詳しくて渋滞をうまくかわして都市高速へ乗ることができた。泥だらけになって腹が減ったので二人で弁当のヒライで飯を食った。俺は先日アルフレッドが食べていたラーメンチャーハンセットを食べた。アルフレッドは期間限定の豚なんとか重とか言うのを食べてた。アルフレッドの分は俺が奢った。奢らせてもらった。
年末東京大阪に行っている同級生が帰ってくるのでみんなで集まろうと具体的な日時を決めないゆるい約束をして別れた。今年も一年本当に世話になった。ありがたい。振り返りの意味も込めて記事にした。
アルフレッドとは様々なエピソードがあるので今後も小出しにしていきたい。ちなみにアルフレッドはジブリのスタンプを使いこなす。