ちんこのような薪

在宅勤務が続いていた。
在宅勤務が始まるとほぼ同時に担当する業務範囲が若干変更になった。慣れないことが多い中でのリモートワークに若干のストレスを感じていた。が、それはチームのみんながそうだし、在宅勤務に切り替えたくてもできない他社、他業種の皆さんのことを思えば恵まれすぎた故の悩みだと反省した。

在宅勤務なので単純に通勤にかかる移動時間が無くなった。最寄り駅まで徒歩40分みたいな僻地に住んでいるので通勤時間が無くなるのは単純に助かっている。2月〜3月中旬までの1ヶ月半、この浮いた時間を薪割りに充てた。

結果的にはそれがとても良かった。リモートワークでなかなかうまくいかなかったこと。慣れない業務領域で感じたことなどを頭の中で整理する良い時間になった。丸太に斧を振り下ろす度に今日の失敗を省み、また次の丸太に斧を振り下ろす度に明日の成功をイメージした。じわり体も温まり、運動不足の解消にもいくらか貢献したように思う。

薪割りを進めていくにあたり、直径4センチ程度だろうか。長さはそうだな、15センチは無いかというところ。ニュッとした、反り立ったような、いわゆるちんこのような枝薪が転がっているのに気がついた。ちんこみたいだなと思いながらそのへんに転がしておいた。斧で割るには小さいしそもそも割る必要は無い程の大きさだ。だが割薪と違い枝薪なので全体が皮で覆われている(ちんこに似た薪に対してこういう書き方も良くないのだが)全体が皮で覆われているために、他の薪に比べ乾きにくい。(乾きにくいという表現も本当は避けたいところではある)そのため、「ああ、ちんこに似た薪が転がってるな」と思いながらあまり気にもせずせっせと薪を割った。

直径30センチから大きいものでは50センチ近くもあった原木たちは次々に玉切りされた後、適度なサイズに割られ5トン程度あった原木はすっかり薪へと姿を変えた。それが3月に入った頃だったか。薪を割ってしまったので収納する小屋を立てることにした。薪小屋である。薪小屋を立てるために一旦割った薪を移動させることにした。何度か一輪車に割薪を乗せ移動させた。割薪を拾っていたその時だった

「コロン…コロコロ」

割薪の間からちんこ薪が顔を出した。(顔を出すという表現についても賛否はあるが)あっと思った。ちんこ薪のことはすっかり忘れていた。半月ほど前だったろうか、そのあたりに転がしていたまま忘れてしまっていた。ちんこ薪のことを忘れていた間にも大量の薪を割った。その日にあった失敗を悔やみながら割ったこともあったし、少しうまくいったことを思い出しながら割ったこともあった。その時間はいくらか新しく担当することになった業務領域と続いていたリモートワークに少しの自信をもたらしたし、腹に力を入れて頑張っていこうと思うには十分な程度に自分と向き合うことができた。

随分久しぶりの再会だったように思えた。このしばらくのことを思い出すと感慨深くもあった。革手袋をはずし素手でちんこ薪を持ち上げた。(便宜上素手でちんこ薪をという表現を使わせて頂いた)少し湿ったその薪は何かを語りかけてきているかのようにも感じた。大丈夫きっとうまくいくと。湿ったちんこ薪は近づいてくる春のやわらかい暖かさを思わせた。

再びちんこ薪をそのへんに転がした。また、然るべきタイミングで出会うことができるだろう。向かいの小学校では桜が幾分咲き始めたようだ。どんな状況であれ季節はめぐる。苦しいときでもしっかりを前を向き、歩んでいきたい。

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